Museum of あやしい Japanese history
さくら
 
  日本人は桜に対して特別な思い入れがあるようです。
「花は桜木、人は武士、柱は桧、魚は鯛、小袖は紅葉、花はみよしの」は、一休さんの歌。明日ありと思う心の仇桜。三日見ぬ間の桜。桜にまつわる諺もいろいろあり、また、桜と言えば100円硬貨、ほとんどの日本人はいつも桜を連れ歩いているようです。
櫻という字には、まとう、めぐらす、とりまく、という意味があるそうで、中国ではサクラの花が木をとりまいて咲く全体像を見て、「櫻」の文字が出来上がったといいます。 日本の語源について代表的なものは、古事記に出てくる「木花開邪姫(このはなさくやひめ)」という説。他にも、皮が裂けやすいので「裂くる」、麗らかに咲くという意味の「咲麗(さきうら)」、「さ」は早苗、早乙女、五月のさと同じく穀物の御霊を意味する言葉、そして農事などを司る山の神を表わす古語で、「くら」は神が鎮座する場所を示し、「さ」神のいる場所が「サクラ」というもの。そのため田植え前に豊作を祈願した神事が花見の起源ともいわれてます。花見というのも、手相見、人相見というように、占いを見るというのに由来するという説もあります。西暦8世紀以前に、最も古代と考えられる山の神『サ神』に対する信仰から発生したと考えられ、かつて日本の田んぼの「あぜ道」には、必ずと言っていいくらい桜の木があり、農耕の開始を知らせる桜は神木であり、桜には稲の神が宿り、そして、桜が咲くと人々は花の咲き具合から、苗代や田その年の実りを占いました。 平安時代に入って、野生の桜を都市部に移植して鑑賞するようになります。桜の花見の風習は、9世紀前半に嵯峨天皇が南殿に桜を植えて、宴を催したのが最初と言われています。桃山時代には、豊臣秀吉が吉野と醍醐(京都)で盛大な花見を催しました。その後、貴族から武士や大衆へ、そして都から地方へと広まっていったとのこと。
さて、お芝居や大道商売で客のふりをして、他の客をその気にさせてしまう人のことを「サクラ」カタカナでサクラと言うとこれを指すようです。最近では、テレクラ、出会い系サイトなんかが浮かぶ人も多いようです。 語源は諸説あり、桜の花はただで見られることから、芝居で役者に声をかけるよう頼まれた無料の客(ただ見)が転じたとの説、桜の花がパッと咲いて一時にぎわしたあと、すぐに散ってしまうことからついたという説など。
「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」与謝野晶子
サクラにはお気をつけあそばせ。

(c)にぽんぁゃιぃ民俗学博物館/Platypus 2002 mailto: